少年の暮景

murasameqtaro2010-07-29

そろそろ甲子園大会が始まる。

甥が県内の強豪私立から勧誘され、この夏の茨城県大会で一年生ながら、背番号を貰った。
向こうの祖母が心を込めて背番号を背中に縫った。
しかし優勝候補の一角でありながら早々と姿を消した。彼は試合には出ていない。
背番号をベンチ裏から追っていた。
雷が怖い、そう抱きついていた彼も大きくなったものだと涙腺が緩んだ。
思えば小四の時少年野球チームに入部、連れて行ったのは自分であり今頃の時期だった。


自分自身小学校時代は野球漬けだった。あの頃地元の小学校には少年野球チームなどなく、指導者もいない。夏休みは勿論しめし合わせて試合をしたり、例え大会など出られなくとも、勝つ喜びがなくとも球を追う事が本当に楽しかった。


夏のグローブ。
初めて買ってもらったのはやはり小四の頃だった。
それまで学校のものを使っていて、それは嬉しかった。
しかしあの頃二十歳頃の大人だろうか、よく思い出せないが、その人たちのグローブに混じってしまい、手元から消えた。
自分達が野球で遊んでいた時、その青年チームが同じグラウンドで練習をしていたのだ。貸したのかどうかは定かではないが、父親に顔向けが出来ず、何日もなくした事を隠していた。
そのうちにばれて、父親を始め地元の人達が、返却を要請する。小六の時だった。
けれども不良が主将をやっていたようでとうとうその大切なグローブは手元に戻らなかった。その日を堺に中学で野球をする事は辞めた・・・


血は引き弟は中学で主将となる。
身長は自分の方が高いが足が速く市内大会で1位になる程だった。
こっちが投手向きの体なら彼は内野手向きでショートストップ
その彼子が甥でありやはり内野手である。
グローブを無くした哀しみ・・・少年の心には大きな出来事でありはしたが、それを踏み越え、野球を求めれば今の自分は多分違った人生を送っていただろう。


挫折あるたびに落ちる。向上心がない。
高校では体操をやったが少し大柄すぎて向かなかった。
バネだけはあり例えば前方宙返りなど一番高く飛んだが、それでも小回りが効かず辞めた。知らずのうちに学校に行かなくなり、不良の道を歩む。
高校は卒業が一日遅れ、大学は金を払って追試を受けかろうじて卒業する事になる。この傾向が社会人になっても暫く続く事になる。


道はひとつだけ追えばいい。
小四から今まで野球に道を求める甥っ子。
野球、体操、空手と様様なスポーツに手を出し、まともな結果が出せなかった自分。会計が専門であるにも関わらず、絵画、小説など関係ない方面を勉強する自分。幅広い知識は得たが、広く浅くであり、所謂プロではない。働く事イコールプロ。その道のプロである。
会計でお金を貰っていながら、その道を深く追求しようとしない。
多分このままの状況でだましだまし、社会人の道を終える事になるかも知れない。


夏の高校野球が始まる。
球児達の奮闘を見つめながら、自らの欠点を再度見直し、なんらかの変化を起こしたい。そうは充分思っている。