筑波山戦争 三

murasameqtaro2010-12-16

真壁町の言い分は、昔から山の境界は分水嶺によるとされており、筑波山頂の境界も分水嶺にすべきである。
従って、山頂にあるNTT無線中継所ほか諸施設の固定資産税は当然おらが町が徴収すべきである。
一方の筑波町は、山頂は古くから筑波山境内であり、その特殊性と歴史的な諸事実から両町の境界ははるか西側にあり、山頂一帯はおらが町のものである、と主張し、お互いに相譲らぬ構えを示した。


昭和38年、業を煮やした真壁町では【羽鳥深峰の字切図に示された筑波町との境界を求める】と、水戸地方裁判所に提訴、両町とも法定弁護人を立てて法定闘争に入った。それ以来、元禄時代からの古文書、笠間営林署で使用している地図など証拠品として提出され、法定審理七回、現場検証には六回が行われた。結局昭和38年4月、水戸地裁は、原告の主張を採用して真壁町の勝訴とした。
即ち両町の境界は分水嶺によるものとし、山頂一帯は真壁町に帰属するとの判決だった。


筑波町はこの判決を不服として、東京高裁に提訴。
また山頂一帯は筑波山神社境内であるというので、神社側も参加訴訟人を送って、真壁町の主張を打倒する体勢を整える。
筑波町が地裁の判決を不満とし、控訴に踏み切った理由のひとつに、神社についての認識不足をあげている。
例えば、神とは構築物をいうのでなく、自然石、自然木、泉などを含めた自然林、山を指し自然そのものが神社の主体であるという。
穿った見方をすればこの争いは、神社境内と羽鳥深峰字切図の境界線をめぐるものということができる。


高裁は筑波町の勝訴と判決を下す。神社境内論を採用したのである。
筑波町はかかった弁護費用を要りませんよと権利を放棄した。
そもそもの対立の点景は財源である。
鉄道開通、ケーブルカーの開通をへて高度経済成長にあやかり、固定資産税他の財源の横取りをもくろんだ真壁町、と言われても仕方がないだろう。
文字通り筑波山あっての筑波町なのである。




真壁側が勝訴していたら筑波山神社はどうなったであろうか?

縁結びの神というものが宿るともいわれる筑波山なのだが・・・・
ちなみに運営人の父親は筑波町、母親は真壁町出身である。