レイシズム〜その四〜

その一 http://d.hatena.ne.jp/murasameqtaro/20140507
その二 http://d.hatena.ne.jp/murasameqtaro/20140508
その三 http://d.hatena.ne.jp/murasameqtaro/20140509



対人。
頭が悪い、運動神経が悪い、顔が悪い、スタイルが良くない、
金がない、地位が低い、家がない・・・。
人は必ず相手と自分と比較する。



「あいつは俺より頭がいいが、俺より顔は良くない」
と羨望と卑下が相反する感情を時として持つものである。
勝るものに対して勝てるものを見出し安堵するのは
人としての自己防御、自然な行為である。
この安堵は極端に言えば相手に対する差別である。
見た目の良い白人が、討論などで論破されたとしたら、
このイエロージャップと影口を叩く者もいるはずだ。
口にこそ出しはしないけれど、
相対して何らかの差別をしているのが人間である。
人は不完全な生き物だ。聖人君子など存在はしない。
差別という感情は性(さが)であり完備されない者は神様である。
問題は口にするか否か、それに相手の長所を認めながらも、
自分の長所を認めてもらうことが出来るかである。
それが出来ない行為を民度が低いと言う。



「足が不自由なやつがいるぞ、笑ってやれ。
引きずるマネをして大義そうに舞おうではないか」



なんでも南朝鮮には病身舞という踊りがあるようだ。
なんらかの障害をもった人や病人の動作を真似ては踊る。
日本ならこれだけでも非難轟々で、
舞ったものは社会的制裁を受ける。
ところがあの国では非難どころか、
大切な伝統芸能なのだそうだ。

こんな貴賤意識ばかり突飛した感性だから、
歴史上著名な芸術家がほとんど出てこないのである

差別が招いた哀れな芸術的遺失である。
障害を持った時点で
才能が発掘されず潰されてしまう懸念多いにありとは、
なんとも悲惨な民度である。



【↓病身舞 なんという下卑た踊りだろう。
差別の原点がこの辺りにもある↓】





例えば虐げられ、学問にもついて行けず、
知的障害施設に送られた、山下清画伯。
彼がもし朝鮮で産まれたならば、
才能を見出す暖かく繊細な目を持つ優しい対人は無く、
差別侮蔑の生涯を送ったことであろうと思う。


〜続く 全八回〜