箱舟が出る港 第三劇  一章 やまぐも計画

曝け出した。
逃げてもいい、通報してもいい。
残りたい人だけ残りたまえと。

副学長の井上輝義と彼に追従する数名が離れたが、市島典孝にとっては
計算内、予想していた結果となった。

―――考える時間を三日ほど差し上げる。逃げてもいい、ここで聞いた話を
通報してもいい。
残りたい人だけ残りたまえ。


あの夜、筑波山地震の最中、市島は水戸市内を見下ろし背を向けた。

愛する家族とそして恋人や友だち。
別れを惜しむには足りない時間だが、決断は早いほうがいいものだ。


友重司。
常央大学医学部産婦人科医長。
23名もの出生したばかりの子供を「消滅」させてしまった責任者である。
勿論友重自身が「消滅」させたわけではない。
原因が一向に解らない事件は、当事者、婦人科の責任者である友重を犯人に
仕立て上げる。
警察の事情調査や、マスコミからの集中砲火を浴びたが、それは幸いなのか
暫時だった。
筑波の噴火は勿論、MMVと呼ばれるウィルスが蔓延し、子供の消滅事件など
殆ど追う人は興味を無くしたのか、今やいない。



「パパは水戸から少し北に行く。ママ、そして光士、真世。お前たち三人の
キャッシュカードを作った。ここに生活費、お小遣いを振り込む。光士、真世、
ママをこれからも助けてやってくれ・・・」
パパ、パパと足元に絡みついたふたりの子供も、早、二十歳近い年を数える。
幾万の思い出あり、別れる事は哀しいが、戦士となった今、涙することは出来
ない。


「死に行く兵隊のような事を言わないでよ!何があったというの?あの事件は
あなたの責任じゃないじゃない?誰も今はあなたのことを悪く言う人はいない
じゃないの?汚名は晴れたはずよ?」
妻は眼鏡をはずしクリアペーパーを取り出すといそいそと拭いた。
あの事件がきっかけで常央大を辞める決心をしたのではない。
そんな男ではなかった。互いに三十年も愛し合った仲だ、十分に夫の本性は知
っている。
友重はそれに答えず、
「ああ、ルックも家族を宜しくな」と、不思議な顔で見上げる愛猫を抱き寄せた。




―――子供を消滅させたのはハメルーンの魔笛
笛吹き男はただならぬ異次元からの悪魔だったのか?


良いほうに吹いている・・・謎めいた言葉を背にした市島だったが。