箱舟が出る港  第三劇 二章 月世界の戦慄

零式艦上戦闘機二一型。
高度6,000mまで7分28秒で到達する。
富士山の1.6倍の高度は、酷暑であっても体が凍てつく。
下界は春夏秋冬いずれの季節であっても、高層圏はいつも寂寞であった。
一瞬のうちに変わる季節を、戦闘機乗りの山中幸吉は何度も経験した。
年月の短さを知り、人の哀しい時間が空には凝縮されていた。

春のような母親の腹の中から、冬のようなこの世に置かれた時の悲しみ。
胎内から出る刹那の寒気を幸吉はうっすらと覚えていた。
あの時の感触と似ている。
俺は転生したのか・・・・山中はそう思った。

荒涼たる風景があたり一面に展開する。
日立鉱山の【穴】の中に現れた光。
光を見てからいくつ時を数えたのかと山中は思った。
・・・知流は?
山中は我に帰り辺りを見回す。
荒涼たる風景が転がる。
そこには誰も居ない。
砂と岩石そして石ころだけの音のない世界だった。

「おーい、知流!」幸吉はあらぬ限りの声を出し叫んでみた。
・・・何も返らない。
これは地獄に落とされたなと幸吉はポケットからきざみを出そうとした。
ところがだった。
手が胴体に附いているにも関わらず、脳の命令に従わない。
足は・・・足もそうだった。
歩けない。
そこに見慣れた太い足があるというのに、一向に動く気配がない。
やはり地獄の一丁目かと幸吉は空を見上げた。
漆黒の空間・・・
何もない空と見えたが、よく目を凝らすと青い何かが浮かんでいた。
なんだろう?
風も音もない不気味な地から、よりその青を睨んだ。

!まさか・・・・
足が動けば、眼前に見える岩石の山に登り、より高い所から確認したかった。
戦闘機に乗り高度6000から見た地球は少し青みを帯びていた。
このゼロ戦で宇宙空間まで飛び出し、はるか上空から地球を見たい・・・
あれはいつ思った事だろうか。
幸吉の視力は3.0以上ある。その目がより細くなった。
見つめるうちにその青は輪郭を持ち始めた。
あれは・・・・

「地球だよ・・・俺も今気づいた」
聞き覚えのある野太い声。
それは知流源吾であった。
振り返る幸吉は声の場所を見つめた。
人影はない。石ころが転がっているだけだった。
「ち、知流か!?どこに隠れている!」 
「まだ解らんのか・・・・俺たちは石の中にいるか・・・石になってしまった
ようだ。お前の隣の石ころが俺だ・・・」
「そんな馬鹿な・・・」
「馬鹿はお前だ・・・俺はお前が目覚めるまで、地球を眺めていたよ」
「じゃあ何か、俺たちは死んではいないと?」
「そうだ・・・それよりあれを見ろ」
「あれとは何だ、何に気づいたというのだ?」 
「あの地球の側に何らかの人工的物体が浮かんでいる。直感だがあれは地球
からやって来たようだ」 
「馬鹿言え・・・そんな技術が地球のどの国にある」
幸吉は隣の石ころを見つめた。
「いいからよく眺めていろ・・・今小型の物体がふたつ・・・母体から離れた
まるで空母から出る戦闘機のように・・・・」