箱舟が出る港 第七章 一節 駆逐艦大風 知流源吾 十六

murasameqtaro2007-05-18

 列車に乗り、
ぶつぶつと
文句を言っていた
大林照恒であったが、
次第に話に興味が
湧いていったようだ。
 石岡を過ぎると、
予科練の厳酷なる
時間遵守も忘れ、
腕組みをしたり、
目を瞑ったりと、話しの中
の回答を見い出そうと、頭をフル回転しているように見えた。
 その時であった。
 「うん? 今、大きな何かが・・・空を流れなかったかの?」
知流源吾がはっとして、列車の窓から、慌てて空を見つめた。
梅雨が近いのだろう、曇天の空は規則性を無視し、淡く、濃く、早く、遅くと、
黒を基本にして変幻自在に動いている。
 疑う姿は何もない。
 「・・・だが何かが居たな、一瞬だ。俺も感じたよ」と山中幸吉が
相槌をうった。
 「時間にして数秒ですね。・・・自分も感じました」
クロツネ曹長が、目を細めて、去り行く空を追った。
 他の乗客は微塵にも感じなかったようで、水戸での買い物の話し等の声が
聞こえる。おしゃべりに夢中である。
「得体の知れぬ不安な黒く大きな影のようなもんじったの? おのおの印象を
言うてみい?」
「例えれば巨大な烏賊のようなものだったな」
幸吉の眉から上が、黒く翳っている。
 「そうであります! 自分もイカの姿をちら、と確認した気がします!!」
クロツネが驚いたように、幸吉の目を直視した。
 「・・・そうか。ワシも同じたい。何かに追われているような、強い恐怖感を
そん姿に感じたよ」 
 追っている者の印象を続いて問うた源吾だが、三人とも、正体不明、との
意見で、これも一致した。
我々が見たり、触れたりする日常的なものじゃなかったの、と付け加えた。
 水戸駅に列車が到着する頃、三人は黙り込んでしまった。
昭和15年5月21日午前11時半を回った頃、知流源吾、山中幸吉、そして大林
照恒は大雄院病院に入った。
 大雄院病院とは、日立市本山にある鉱山病院である。
 赤沢と言う銅山を抱える街の性質から、必然的に溶鉱炉から流れる煙などが、
ヒトの体に害を及ぼす。
 東洋一高い煙突など作っても、さほど煙を拡散させる効果がなかったのか、
胸部を初め様々な公害によると見られる病に、少なくない労働者や、市民は苦
しんでいると高根沢は言う。
 高根沢政春は放射能による病にかかってると、知流源吾は見抜いた。
 ならば、大雄院にも似たような患者が居ると推測し、まずは鉱山病院を訪れた
のである。