友よさらば

彼の家にそう遠くはない川釣りの名所に行ったのは
昨年の10月だった。
「近くに来たら寄ってくれ、自営だしいつでもいるから」
電話で話したのはもう四年近く前になるかな・・・



泥だらけの長靴、魚や餌で臭くなった手。
綺麗な家。
寄らせてもらうかな、と考えはしたが、格好が格好なので、
次にしようと帰ってしまったこと、これが実に悔やまれる。



なんとも不思議な雰囲気を醸し出していた男だった。
笑っていても影のような悲しさが背中あたりにあり、
しかし暗くはない性格だった。
夕暮れの中にいるような、なんとなく幸薄い感じはしてた。
埋もれている芸術家、陽をみない創造者とは
彼のような男のことかも知れない。



自分が一時、
井上陽水さんや桑名正博さんの髪型を真似ていたこと、
昔の写真を見て笑う奴がいるけれども、
彼は理解していてくれたっけ、なあ・・・
しかしあの記念アルバム、自分では大失敗と思ってる。



学園祭でなぜあんな悲しい曲を、奏でた?選んだ?
あれは・・・名曲といわれるが、葬式の歌だ。
マンドリン・・・違う曲を俺は期待してたよ。
その弦のような男だったのか・・・なあ・・・



きっと何も解らずのままに、逝ったんだろうな。
死の影が近づいていることを感じることが多々ある。
俺は死が怖い。
理由は死に意味がまだ見つけられないからだ。
たとえば俺が死んで娘とか大切なものが助かるなら
喜んで死にもしよう。
・・・まあ・・・いいか、それは。余談だ。




彼のFacebookにはスーツを着込んだプロフィール画像が、
まだ、残って、いる。




昨年暮れだった。
自動車で自爆だったと聞く。
自爆したのは暴走とか酒とか運転ミスではなく、
運転中に脳梗塞が襲いそのまま逝ってしまった
と他の同級生から聞いた。
いくらなんでも、早すぎるなぁ・・・



誰も連絡はくれない。
そりゃそうだ、電話番号を変えてしまった。
この新番号、知る人物は友人では片手であまる。
例えば砂浜で車座になり酒を飲む・・・
そう高校時代の男友達では彼がそのひとりに入る。
心底とことん話し合ったことはないけれど、
質は違うが、通じるものがあったはずだ。



高校の同窓会クラス会など
二度と行かないことにしている自分は、
これから偶然でなけりゃ一生会えない人々が多く居る。
その中でも逢えていた数少ないひとりが彼だった。



最後に会ったのが飲食店を営んでいたH・K君の店で、
あれは5〜6人だったか。
三次会○○ハブ行かないか?彼の提案だったが、
夜も遅くカラオケを経て、
解散することとなった。
あの時付き合ってやればよかったなあ・・・と思う。
あれが最後だった。


その最後の彼の画像です。



彼岸に。
近くに行かなくても寄らせてもらう。
もはや本人はいない。
数少ない高校時代の逢いたいひとりだった・・・



S・Tくん、さよなら。
友よさよなら・・・安らかに眠れよ。
あのマンドリンの音色は、忘れちゃいない。