箱舟が出る港 第二章 二節 難破 三

星条旗の揺れが止まっていた。風が全くない太平洋の真ん中であった。
 
ミリオンダラー号は東経177度22分、北緯28度13分、その位置までおよそ
二時間程の距離でそのエンジンを切った。
その時、ジム.スタンフォードはわが耳を疑った。こんな場所で「 エンジン
停止」とは何事か? ‥おいおいと言いかけた。
ミッドウェイ島
正式にはイースターアイランド及び、サンアイランドと呼び、珊瑚礁の島々で
形成されている。ミッドウェイとはこれらの島々の総称である。 
順調なる航海であった、しかもたった二時間の航行でサンアイランド島に
到着出来るのに、だ。
「どう言う事かね、マイケル?」操舵室から双眼鏡を覗いている航海長の肩を
指先でトントンと突いた。
「直ぐに分かりますよ‥ディル副艦長っ!、オペレーションNo1の作動準備!!」
「アイアイサー、オペレーションNo1作動準備に入ります!!」
なにっ‥副「艦長」? だと? 船長ではなかったのか?‥ジムは呆れたように
頭を抱えた。
何が何だか皆目見当が点かなかったこの航海の全貌がいよいよ現れようと
してた。
ジムはここまでの航海の中で、沢山の乗客と歓談していた。乗客の相貌は
一般人と違って居た。‥それは目だ。旅を楽しむ駘蕩とした余裕のある光りは
無かったと思う。
優美に微笑んでいても、過度のアルコールで馬鹿笑いをしていても、瞳の光りは
決して表情と同調しては居なかったのだ。目は基本的に嘘は吐けないものだ。
あれは軍人の眼だった。隣に居るマイケルも同じ目をしている。また情報機関に
属する者だけが持つ秘密めいた目を持つ者も何人も居た。
ならばこれは間違いなく戦いの航海であろう。薄々気づいてはいたがおそらく
百パーセント間違いない。戦いでもいい。だが誰と戦うと言うのだ‥国家か‥
あるいは海賊‥テロリスト。‥いや違うな‥ありえないとジムは首を振った。
戦争ならば軍が出ればいい事である。軍は出るにも出られないのであろう。
極秘の戦いであろう‥だとすればわしを必要としたこの戦いの相手は、あの頃と
同じ極東の島国、個人的に贔屓にしている友好国日本なのか? そんな馬鹿な‥
と昨夜のテレビを思い出していた。
日本の高根沢総理大臣がワシントンに居る。大統領と会談を行っていたはずだ。
日米友好を高らかに謳い上げていたあの報道は何なのか? 今頃は晩餐会の
はずだ。‥違うな、敵は日本国などではない。日本ではないが、日本に関係して
いる戦いに、まず違いない。やはりか‥やはりあの海戦が背後にあったのだ。
遠い昔海軍中佐として空母ヨークタウンに居た。技術将校として初の戦場に
赴いたのが所謂ミッドウェイ海戦であった。
珊瑚礁海戦で損傷したヨークタウンを三日という驚愕すべき速さで修復したのは、
ジムの力であった。これからもジムが修理してくれる‥
海軍はプロパガンダをも込め、しきりに彼を褒め称えた。事実神ががりの如く
ジムが搭乗した艦船は一隻も沈んで居なかった。致命傷を負った艦も多かった。
しかしジムは鬼人のように、悉く適切な指示と技術で、悉く沈没を救
ったのである。 軍神ジムとしてアメリカは賞賛した。
空母ヨークタウンの復帰が無ければあの海戦はどうなっていたか?
それは分からない。
が‥どうやらこの辺りに鍵がありそうだとジムは考えた。
あっ!‥もしかして‥あの日本軍の駆逐艦オオカゼか‥突然閃いた。
その時である。
まるでエレベーターに乗ったかのような浮遊感があった。見えていた光景が少し
高く遠のいた気がする。ウィーンと言う音と共に、操舵室全体が高く伸びたのだ。
艦橋が出現したのである。
巨大な形状記憶合金は、おそらく今還元出来るようにプログラムされていたの
であろう。ここからは全体が見えない事が悔しい。定めし客船としての姿は消えた
に違いない。同じ還元がどこでも起こったはずである。いずれにしてもこれが
多分オペレーションNo1なのだろう。
戦艦になるはずだ。想像も出来ない程の高性能の戦艦に形を変えているはずだ。
そのための大改修であったのだ。
‥ああ‥母国よ‥こんな技術を持っていたとは‥感激に涙腺が緩んだ。
「いかがですか、ミスター、マースジム?」
マイケル航海長が指でOKの形を作った。
「‥実に宜しい‥素敵な事が始まりそうで満足だよ‥」
‥おそらく死ぬ事になるだろう‥喜んで死ねるはずだ‥
勇往邁進の軍人にジムは戻っていた‥・。


「死因は心臓麻痺です。」若い医師が申しわけなさそうに伏見を見つめた。
「そうか‥」と伏見は肩をがっくりと落とした。
つい先ほどまで議論を交わした鬼頭警部。その異常とも思える表情は正常に
値する確かな根拠を持っていたのだ。
鬼頭堅司。その名を後で聞いた時の驚きと言ったら例えようがなかった。
まさか!!と絶句した。
何故死ななければならない、役目はこれからだったはずだ!
妻がこの病棟にいたのだ。つまり消えた子の父親になるべき男だったのだ。
‥なぜ言わなかったのか? 俺の子供もいたんだ、と何故話してくれなかったのか?
警察官の心理は知らない。知らないがひとつだけ言える確かな事がある。
それは彼が男であったと言う事だ。骨のある優秀な警察官だったに違いない。
他に22名の家族がいる。それを思い庇っての事ではなかったか?
ならば彼の言動は反対と思える。おそらく消滅の事実を悟ったに違いない。
やり切れない思いを暗に暴言としてぶつけて来たのだ。
光りが見えない苛立った思いをぶつけて来たのだ。
馬鹿者はこっちだった。鬼頭警部は全て見抜いていたのだ。
‥ああ‥と伏見の眼から大粒の涙が溢れた。
田部井刑事が慟哭を発し、未だ鬼頭の亡骸にしがみ付いていた‥。


常央大学応援指導部は友部の県立武道館から帰る途中であった。
水戸西武館主宰の全日本大学剣道選手権の応援を終えた帰りであった。
「どうもうちは剣道だけは弱いな‥」と、相撲の荒木田豪輝が巨体を揺すり
残念そうな目を知流大吾に向けた。
「貢先生がいたなら、こうはならなかったはずた」
「ま、そう言うな豪輝。菊村貢先生が辞めてから、三年になる。態勢作りはこれか
らさ。勝負は時の運でもある。来年があるさ」と涼しい顔の知流。
菊村貢とは常央大で剣道を教えていたツワモノで、なぜか突如として行方知れず
になった伝説の男である。一説では世を忍びどこかでホームレスになっている、
との噂もあった。
「てめえらが根性がねえ応援をしてやがるから、こうなったんだっ!!」
レスリングの白拍子兼康の
雷が下級生を襲った。
「辞めろ、兼康、時の運だと言ったろ?」笑顔の知流がそれを諭した。
総勢48名。巨漢と鋼のような体を持つ学生服の集団に、すれ違う人々は
目を丸くして道を譲って行く。
‥あれが常大エンダンだっ‥目を合わせるな‥三人組の不良がこそこそと
話している。
七名の暴力団をエンダンのひとりが、一瞬で叩きのめした話は日本中の
不良に伝わっていた。その暴力団も今や彼らを避け始めていた。
「まだまだだな、何度も言うが恐れられない強さを持て」振り向いた知流が
微笑んだ。
「オス!!」
一糸乱れぬ鋭い声が夕闇に流れて行った。
その時である。
「ありゃ弟さんじゃないか? ええ‥団長?」と副団長の黒澤聡が指を向けた。
交差点の向こう側の道路を知流正吾がのっそりと歩いていた。
「ああ、そうだ。‥それよりもあの帽子の男‥ただ者ではないな」
大吾が足を止めた。
「そのようだ、異質の力を纏っているようだ‥どうする?弟さん、ヤツを追って
いるようだぜ、殺気を感じる」
「ま、観ていよう‥あいつにとって正念場になる気がする、それにな、
もうひとりいる!」
「もうひとり? あの綺麗な少女か?」
「違う。あの男と同じような者がどこかに隠れている‥ 」
「何だと!」 
「何が出て来るか、 ま、観ていようじゃないか」 大吾が面白そうに笑った。
 
その時少女が跳躍した!!

?
アルフォンサスクレーター。
ほぼ円形の月のクレーターである。
昔から科学者はアルフォンサスに注目していた。
例えばアポロ計画
17号に於いて、着陸の候補にあげられていたのである。
円形の中を縦断するような「山脈」が‥観測では確かに見られていた。
またクレーターの中央部には異常な光りを何度も確認している「不可解」な
クレーターである。

「オペレーションNo1、太平洋上で一次作動の確認致しました。成功です。」
指揮コンピューター「心」の無機質な声が作戦開始を伝えようとしている。
次がオペレーションNo2、今度は宇宙空間での作戦開始である。
攻撃型宇宙船やまぐもはアルフォンサスクレーターの上空一万メートルで停止
していた。
「格納庫を開きます。」
メインディスプレイにやまぐも後部の姿が映し出されていた。
「続いて小型攻撃宇宙船ビル.クリントン の分離を行います。ウルフ16000及び
戦闘グリズリーX1、X2の搭乗作業まであと十分。着陸支援小型爆撃宇宙船
ロナルド.レーガンの分離まであと二十分です。やまぐもの迎撃砲三門のエネル
ギー充填完了いたしました」
「宜しい、ご苦労だった、心」唯根船長がディプレイを見ながら軽く敬礼をした。