箱舟が出る港 第二章 三節 漂流 三

murasameqtaro2006-10-20

中堅百二十メートル、
左翼、右翼ともに
百十メートル。
その周りを壁画のように
林が膠漆している。
向こう側は太平洋が
広がっている。
高台にあるグラウンドであるから、
いつもなら風が強いのだ。
まるでサウナだ。
いやサウナ以上かも知れない。
若い体ではあるが、肉体は疲れていた。練習の為ではない。


常央大付属大洗高校では、つい先程紅白戦が終わったばかりだ。
引退している三年生対、春の選抜を狙う新チームである。
エースは一年の磯前晴海であるが、肉親が倒れ今日は休み
であった。
すでに茨城県秋季大会で優勝し、関東大会への出場が決まって
いた。その関東大会でも優勝候補の筆頭に挙げられていた。


昼食の時間だ。
一塁側のベンチには三年生が座って弁当を食べていた。
「どうした?大食い郡司、食欲がねえな、ならよこせ」
七月まで女房役、つまり捕手だった君和田が郡司のウィンナーを
ひょい、と取り上げ口に運んだ。
いつもならムキになって怒るはずである。君和田は頭を手で
庇った。?.... 期待した平手の一撃がない。
「どうしたお前?」君和田が郡司の顔を覗き込んだ。
「....寂しくて仕方がないんだ.....」
郡司は沈鬱な顔を君和田に向けた。苦悩の色が深く、濃い。

「そうか、そうだなもっともだ、これで高校野球も最後だな。
甲子園には行けなかったが、俺は満足だぜ」
「....君和田、、違うんだ。俺は高校野球への別れを言ってる
んじゃない....」
「じゃあ何だ? 彼女に振られたか、そう言えば小糸の麻里ちゃん、
今日は見てねえな?」
猪首の君和田の眼がグラウンドを徘徊した。

郡司の彼女である小糸麻里は毎日のようにグラウンドに顔を
出していた。いつもならこの後手を繋いで、グラウンドを後にする
はずである。
「....もう彼女なんかじゃねえよ、あんな女とは思ってなかった...」
「なんだと?卒業したらお前ら、その、結婚するはずじゃなかった
のか?」
「....ここじゃあなんだから、更衣室へ行こう」
郡司が君和田の手を強引に引っ張った。

「なんだよ、痛えじゃないか! 何がどうしたと言うんだ!!」
「ま、座ってくれ...」郡司は伏し目がちにイスを取り勧めた。
「...おう?」
「これから俺が言う事を絶対秘密にすると約束するか、また信じるか?」
「だから何だって?キモイぞ、お前。俺がお前の球をパスした事がある
かよ?」
「よし、二つほどある、黙って聞いてくれよ。」
「ああ、分かったよ」君和田はポカリを一気に飲んだ。
「学校向かい側にラーメン屋がある。よく行っている珍珍亭だ。
信号機もある、交差点だ。その珍珍亭前の交差点にお坊さんが
見えるんだ。毎日だ。決まって七時半。最初俺は気にしなかった。
三日ほど坊主は同じ格好で立っている。
さすがに俺も気になりだした。そしてクラスのヤツに聞いてみた。
あの坊さん何をしているのかってな。
そしたらな、坊さんなんて居ないと言う....。見た事もないと言い出した。
そんな、と俺はたまげたよ。しまいにはクラス全員に聞いてみたが、
皆同じ返答だった。疲れているんじゃないの、と揃いも揃って
そうぬかしやがる。
ならばと、俺は仲のいいヤツを三人引っ張り交差点に七時半に行った。

果たして坊さんは居たよ。鐘を鳴らして突っ立て居る。
線香の匂いが体中から流れていた。ほれみろ、と俺は勝ち誇った。
が、だ。三人は見えない、どこだ?と手をかざして言う。
背筋を流れる冷たいものを感じたよ。おいっ、坊さん返事しろっ、
と俺は怒鳴った。丁度その時珍珍のおじさんが新聞をとりに顔を出した。
俺は慌てておじさんを呼んだ。なあ、おじさん、お坊さんここにいるよね、
と必死で聞いた。
郡ちゃん、あんた寝ぼけているよ、とおじさんは笑って店に入ってしまったよ。
あれから一週間になるけど、まだ坊さんが立っているんだ。
チーンと鐘を鳴らし線香の香りを流しぶつぶつとお経を唱えている。
俺はつくづく怖くなったよ。
夜も眠れない。そして正門から登校するのを辞めた。
毎日裏門から入っている。だがな鐘の音がいつも聞こえるんだ....
こうしてお前と話していても、ああ...聞こえる。怖い!!

.....ふう....う....あれはな、思えばクリジェネのコンサートに麻里と行った
次の日からだった。俺は行っていたんだ。
そこで麻里と初めてやっちまってな。麻里は次の日から変った。
毎日俺の部屋にやって来る。夜明けまで何発やったか分からない日も
あった。直感だが多分麻里は妊娠したと思う。
それでなその...心臓に動悸を感じるようになった。
たまに強く、ドドッ、って感じで苦しいものが上って来る。多分だ....
近いうち俺は.....死ぬ事になると思う。あの交差点で死ぬかも.....
助けてくれよっ..なあ、助けてくれ...怖くて仕方がないんだ.君和田あっっ!!」