友情


―――獣道をふたりの猟師が歩いていた。
ふたりは無二の親友であった。
その時突然に行く手に大きな熊が現れた。
慌てた片方の男はスッ転がってしまった。
片方の男はそれを見ながら、木の上に上ってしまった。
倒れた男は熊は死人を食わないという伝えを思い出し、
死んだふりをした。
熊は男の体臭を嗅いだり、顔に顔を寄せたりしていたが、
やがて森の奥へと消えて行った。
木から下りてきた男が『熊は君に顔を寄せていたが、
何か話しているように見えたが?』と聞いた。
逃げ送れた男はこう返事する。
『危険に臨んで友達を捨てるような男を友達と思うな。
と教えてくれたよ』と。
木から下りた男は泣いてその友達に不実を詫びた―――



たいていの人は友達を持っている。
ひとりもいない・・・こんな人はまずいないだろう。
人様は知り合いを持ち、彼らとの遊びとか歓談を楽しむ。
しかし心を打ち明ける友達を持つ事、
それは素晴らしいことで、財産である。
友人、それは知り合い、とは異なる。



友情、青臭いけれど、
それは本来支えあい、力を貸しあい、
そうすることを喜びとする人々に存在する心であると思う。



上述した話は祖母に聞いたのか、
何かの本で読んだか失念した。
ただ覚えてはいる。
熊にはいくら力があろうと、
ふたりの人間では到底太刀打ち出来ないはずだ。
木に登った男を責められはしまい。



スッ転がった男を起こす時間があったのだ、
・・・それは読める。
泣いて不実を詫びたこと、
ここからも助ける余地があったこと、
・・・それも読める。
しかし仰天したのだ。
自分だけが逃げようと思ってとった行為ではないと、
・・・読む。
めったに出会わない未曾有の恐怖だ。
この話は友情の大切さを説いた話ではあるが、
少し疑問を感じるな。



泣いて不実を詫びた正直な気持ち。



それ以上男は言い訳をしなかったと信じたい。







意思の通じ合った連帯というものは



男の喜びであり働く意欲となる!