普門寺焼失から 一

murasameqtaro2010-12-08

TX開業効果で、筑波山道を歩く人が多くなった。
本格的な登山服姿の人、ハイキング姿の人、平沢官衛を主な拠点に、今流行の自転車で颯爽と走る集団など様様である。


山へのルートは旧筑波山道を真っ直ぐ歩くようで、迂回せず紫峰に行く観光客が多いようである。
まあ迂回してもさほど目ぼしいものはないけれども、蚕の神を祭る蚕影山神社へ行ってみるのもいいだろう。
映画ガマの油の撮影地にもなった境内がある。
ここはかつて養蚕農家信仰の地であり、正月ともなれば参拝客で賑わったと聞く。


時代の波に流され養蚕は没落し神社も朽ち行く運命か地震でも
あったら即倒壊するような頼りなさである。
こういった時代に取り残された遺物を見るとなんともいえない安堵感など持ったりもする。

つげ義春とか梶井基次郎が訪れていたならどんな描写をしたのかと想像したりもする。



頭は中途半端な文系崩れのくせに、神様仏様などあまり信用していない。実家は兎も角個人的には無宗教に近い。
だいたい人間だった釈迦などが死んだあとにあの世を作ったなどとうてい信用出来ないのです。
経験上感覚上肉体と魂はどうも分離するらしいことはうすうす知っている。感じてはいる。
唯心的だけれど、肉体が滅びたら魂はどこへ行くのだろうと考えたりするが、
心=魂の定義がよく解りはしない。
当たり前だが脳もまた物質ですが、なんとも不可思議なチューブのようなものと、どこかへ繋がっていると思ったりもする。


生物の構造、ご存知のように六元素から成立している。
肉体は壊れれば構成物質は霧散しガイアに帰る。
地球という生命体のほんの小さな構成物であり、俺は素粒子かも知れないと。
違うか・・・
それ以上小くしかもピロリ菌のような悪さをする悪性ものと思うな・・・本音


まあ地球ももっと大きな存在の一部であると考えているのだが。魂も同様。こう言った幼稚な想像である。誰しもが無意味に生まれたわけではないという。思うに巨大な上位存在の必要不可欠なエネルギーとして、その役割を担っているのかとは思う。また俺の体内も巨大な宇宙であり、内包された様様な場所に、これまた人や動物植物などが活動しているなど突飛なことを考えたりもしている。



ま、話を元に戻そう。
当年初頭ふたりの50代女性が逝った。
どちらも徒歩で2分程度の家である。
前半、後半のまだ若き主婦が間を措かず連鎖して死去する。
組合内のこの二つに加え町内で三人が間を措かず逝ってしまった。
次、標記の住職が死去される。
さらに自分の事だが胸部と肩の痛みに悩まされ半年苦しむ。
血痰が出たり一時は肺癌の心配もしたが、幸い軽い気腫で済む。次に車のドアに右目をぶつけ、海老蔵以上の内出血、救急車で運ばれる。さらには夏終わるころ十二指腸検査の折に、今度は胃にポリーフが見つかり摘出。
現在、体、顔が細くなり、すっかり痩せてしまった。
散々たる年代である。これからがなんとも不気味だが、まあなるようにしかならないべなw


思えば火災以後まともに祖母の墓にも行っていなかった。
これは何かあるのかな?唯心的にこの馬鹿も考えるわけでした。


〜続く〜