伝統

養う必要なし

週刊誌のつまらん見出しなどを見ると、雅子様の病気がまだ回復に向かっていないらしい。



以前何かの本で
天皇と皇太子父子相克の宿命】なる記事を読んだ。


人は幼少期から青年期に生きた時代を、宿命的に背負って生きるものという世代論的視点から、天皇家の相克を暖かい目で見守っていた。現象面を切り取ってあげつらう最近の風潮とは違った角度からの立論であり、新鮮な感じがしたのを覚えている。


ハートの柔らかい時代に、人間の肌にしみこんだ匂いは抜きがたい。その世代の澱となり在り続けるということなんだろう。


子は親父になり、父はジイ様になる。
そして家、町、国家なりの連綿として続く伝統を育む。
まあ歴史書などを鑑みて、戦後のある時期を境に、その伝統が途絶してしまったようで、国家も人間も似て非なるものになると感じている。
昭和の写真などをネットで観ると、街の佇まいとか、色とか、匂いとか・・・そして人のそれもすっかりと【今】だけ、刹那的になっちまった感じがする。
まぁもっと上、俺の叔父世代の人であればこの思いはより高いと思われ。


時代に染まらざるを得ない人々にとって恐ろしいのは、時代あるいは時代の人相というものが、是非善悪、理非曲直という個々のありようとは違って、恰も奇怪な歯車で実に高速で挟み込まれてゆくことにあるのかと思ったりするようだ。
だからこの国家この時代を創るみなさんは(皇太子殿下も同じかも知れない)現代の諸相を少し冷静に見つめる必要があり、時代の舵取りをしていかなくてはならないのだろうとは思うけどな。


野球に例えて愚かではあるが、高校野球には伝統がある。
例えば広島商業高校(OBの川本幸生さんのご冥福を改めて祈る、憧れであり淡々としたNHK解説の大ファンでした・・・)
地味でも堅実な野球スタイルの伝統は確かにチームを弱くした。


ここ暫く甲子園に出ていない。
その気があれば近代野球も出来るのであろうが、徹底的に基本を教えるというチームカラーは変わっていない。
時代に逆らい古き伝統を重んじる姿は個人的に好きである。


雅子様はおそらく時代に染まる傾向のあるハートの持ち主と思われる。
閉鎖された世界での生き方、それは大変だろうが伝統を重んじ、殿下だけを見つめ
頑張ってくださいと願う・・・








※国会議員の皆さん、乙。
俺も近頃実に暇なんだが民間人である。
貴方様がたも相当暇と見え、毎度議会で居眠りしている場面を見ると、


マジックで目を書いてやりたくなるんだがな。※