時計

murasameqtaro2011-02-09

三、四年前だろうか。
結構収入が良く、親が資産家の新婚夫婦のマンションへ遊びに行った時、大きな古い柱時計が掛かっていた。
元は純白だったはずの、今は鼠色に汚れた文字盤に、十二個のギリシャ数字が放射状に並び、おおげさな形の長い針が、夜七時十五分を指していた。
自分の腕時計はまだ七時の時間も刻んでいなかった。



ビールを飲みながら奥さんが言った。
「こんなの私好きなんですよ。お爺さんか何かみたいで温かい感じ。勿論初めから動かないんですけど。あるだけでいいって感じでして」
「七時十五分で止まっているよね?」
「ええ、骨董屋さんで買った時は十二時に揃えてあったんですけど、私がそうしたんですよ」
「なんで七時十五分なのよ?」
「その時間はホラ、ウチのが朝出かける時間でしょ?夜の七時十五分は、大抵私たちふたりが夕食をとる時間なんですよ」
「あっ、そうか。夕方七時十五分から翌朝七時十五分までがふたりの一緒の時間つうわけか。そのほかの時間は時を超越してるってわけだな?・・・なんともロマンチックだよねw」
私は彼女の若妻さんらしいユーモアを感じました。


―――この古い大きな時計は、昔どんな家庭にかかっていたのだろうか。針も動かなく、見栄えもしない大きな古時計は、何もかもが新しく華やかなマンションの一室で、何を思い、何を見ているのだろうか?



二十代前半の若い夫婦の部屋には、いろんな外国製と思われる高価な調度品が並んでいた。尤も彼らだけではなくって、私もそうであり(高級品はひとつもないけど)、現役の社会人である六十五歳くらいの人までの生活は、アメリカのテンポで仕事を考え、ヨーロッパのテンポでレジャーを考え、ロシアのテンポで物価を考えているようなもので、日本のテンポでは何も考えていないのかも知れない。



あの新しいマンションの一室の置き時計がヨーロッパ、目覚まし時計がアメリカ、鳩時計が新興インドの時間で動いていると考えると、それは部屋中の時計が、みんな狂っているようなものかもしれない。
狂った時計が多くなればなるほど、生活はエントロピーモードでどうにもならなくなっちまい、自分達の時を見失ってしまうんじゃないか。



狂った時計は、いつになっても正しい時を示さない。



時代遅れの動かない時計がそのまま一日二回だけ正しい時を示すこと。
それは日本独特の国体や文化を失おうとしているせちがらい現在において、長寿の賢人がひとりいるほどに大切でありがたいことだ、そう思ったな・・・

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もうひとり居たはず?しかし・・・賛美歌のような綺麗なメロディーです・・・

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ラビアンローズが良かったけど埋め込み不可。
吉川晃司さんバージョンはちょっと好みじゃなく・・・

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それではお休みなさいまし・・・