箱舟が出る港 第五章 二節 軍神たち 二

唇が赤く染まった。
どこから取り出したのか、汚いペットボトルをテーブルにトン、と山中は置いた。
「また、それか!? ここは安酒場ではないんだよ!!」
アランは忌々しそうに横目で山中を見ると、さあこっちに来いと【こびと】を両掌
で抱いた。
「血まみれマリーはもう辞めろ。見ていると気持ちが悪くなる。
分ったからコーヒーを飲め」
ブラッデイ・マリーのトマトは好きたが、芋焼酎という安酒に、アランはいつも
嫌悪を抱いている。何度飲んでも馴れない腐った血のような、トマト割りの薩摩
焼酎あった。


「そう来なくてはね」
山中は悪戯らっぽい笑みを、アランとジョン、そして【こびと】に向けた。
こうした汚れのない顔をする山中を、アランは憎めなかった。
「会話は出来る・・・のですか?」
【こびと】と眼が合ったジョンは慌ててコーヒーカップをテーブルに置くと、
目玉を丸くした。
「太陽系の生物なら、法則は同じ。そこそこの知能があれば、答えはみな同じ
場所にたどり着く。エスペラントで会話が出来る。文字はハングルだがね」
「聞いた事があります。ザメンホフのあれですね。ハングルは世界中の文字の
中で、一番合理的で発達した文字だとか?」
「ノースコリアは嫌いだが、認めんわけにも行くまい。その通りだ。
会話させてあげよう」
キリンのように長い【こびと】の首を撫でながら、アランはリモコンを押した。
生命工学コンピューター【バイオコンピューター】の電源をONにした。
白衣を着た金髪の男がコーヒーを運んで着た。
「火星探査機スピリット、オポチュニティは役目を終えた。健闘したよ、
良くやってくれた・・・彼らも。死亡した五人のクルーには遺憾だが・・・」


「五人のクルーですって? 人が乗っていたのですか? 火星への有人飛行だ
った? とでも・・・?」
ジョンの体は思わず前屈みになった。
「そうとも。君は物事をよく考えていないな。あの探査機が火星から送ってきた
データはほんの僅かだったろう? 着陸成功というニュースを新聞、テレビで大々的
に報道されたのは、君も知っている事だろう。だがその後、全くニュースは入って
来ない。どうしたのか、と疑問に思った事はないかね? 」
「申し訳ありません。私はプロの格闘家なので、その方面は興味も・・・・」
「その道を極めたプロならば、他のちょっとした変化にも気づくもんさ。まだ君は
修行が足りん。君はまだまだ強くなる、好意で言っておこう」
「・・・はあ、・・・そうですね」
弱弱しく己が拳をジョンは見つめた。まだ自然石は砕けないのだ。
自然石を破壊する力を得たならば、万物物事の道理が見えはしよう。
・・・このプロフェッサーは只者ではない。
その道の頂点に立った男かも知れない。
「・・・救出船だった。火星の住民を保護する目的で、彼らは飛び立った。
2006年1月4日スピリットが、1月25日にオポチュ二ティが火星に着陸した。
約五億キロメートル。近い場所さ。この年の六月まで、探査機の様子は毎日の
ように報道されたもんさ。しかしだ、その後ぷっつりと消えてしまった。全く
ニュースが入って来ない。故障というニュースさえもだ。NASAには連日問い合
わせの電話やメールが捌ききれぬほど殺到した。また故障か、税金など一切ど
払わん、と言う抗議が大部分だったようだ。大衆は知らん。その影に何があっ
たのかを。さあ、【こびと】と話してくれたまえ、何があったのかを。私はベ
ルゼブブの死体をより調べるのでこれで失礼する。山中くん、後を宜しく、
ああ・・・コーヒーは好きなだけ飲め ! !」




茨城県大洗港
朝霧に煙る漁業組合の建物を背にして、笹島京平は舫を解いていた。
霧が晴れれば、今日もまた暑くなりそうだと、汗を拭きながら空を見つめた。
11月も半ばになりかけているというのに、早くから砂浜には観光客がいる。
白骨化した死体が発見されてから、流石に一般の観光客は深夜出歩く事は少
なくなったが、それでも蛮勇の輩が居ると見え、砂浜にはテントが少なから
ず陣取っていた。
オオダコの仕業か、はてまた共産圏の秘密兵器か、UFOの仕業かと。
憶測は憶測を呼び、違った意味でも大洗は連日満員であった。
炎天は人の思考を遮断する臨界点がある。
今日もまた死体が出るかも知れないというのに、海水浴を求めているのだ。
驚くのは女性のあられもない格好である。
女子中学生までもが、はでな水着で闊歩している。
誰に見せようとするのか? 男に決まっている。
すでにMMVに感染している事を派手な水着は知っているが、女体は死亡する
事は、ない。
そんな事を脳裏が過ぎっているのか定かではないが、いずれにしろ今日も暑
そうであった。