箱舟が出る港 第七章 一節 駆逐艦大風 知流源吾 一

murasameqtaro2007-04-29

 昭和15年初夏。
 山に登っても、
蒼茫の空が
広がっていた。
 下界から観れば
山の頂きあたりに、
蒼は固まっていた。
900メートル近い高さのその頂きに登りつめても、
蒼を掴むことは出来なかった。
  柔道の稽古の為はるばる広島は江田島からやって来て、
一時的に逗留している 山麓に見える田井家の紅い門が、小石のようだ。
降りれば確実に【掴める】風景である。
 空とはなんじゃろうかと知流源吾は、目もくらむ筑波山女体峰の
不安な岩石に腰掛て、田井家独自の味の握り飯をおそおそると取り出した。
 味噌の香りが強い。
 眼前に関東平野が広がる。霞ヶ浦が薄く浮かんでいる。
 赤トンボだよ・・・と山中幸吉が、おにぎりをほおばり、
彼方の湖の上空あたりを見ていた。
 「あかとんぼじゃと? バカを言え、まだ早か」
 「違うべよ、源さん。予科練だ、見てみろ」 
 「おう、おう、あれか訓練機か、よく飛んじょる事じゃのう」
  予科練とは1930(昭和5)年に発祥した帝国海軍飛行予科練習生
(少年航空兵)制度の事である。
  1939年(昭和14年)に神奈川県横須賀から茨城県霞ヶ浦に移転し、
翌年には土浦航空隊が発足する。目的は少年航空兵の増員であった。
  〜若い血潮の予科練のぉ〜との歌声が、稀にだが今でも
居酒屋などで聞こえる。
  〜○高健児の意気高くぅ〜歌詞を変え、最近まで霞ヶ浦に近接する
某公立校の応援歌にも、歴史として残されていた。
 源吾は立ち上がり、背伸びするように、その予科練の紅い練習用の戦闘機を
眺めた。
 「おっ! アブねえぞ、下は絶壁だ」
 「おう!? そうじゃった、そうじゃった。海のほうが、良か。
江田島にも馴れたもんでのう。船乗りは皆さぁ、高い所が苦手でのう。
きさんはバカじゃからの?」
 「そりゃキサマぐらいのもんだ。たかが876メートル。
オラならここから転げても、柔道の受身を持って怪我などせん。帝国軍人が
高さを怖くてなんとする」
謹厳実直の輩でも冗談は言う。ひとつ後ろの岩に逃げた源吾を、面白そうに
見つめた幸吉であった。 
「田井さの握り飯は旨いのう。こどん【こども】までが
手伝ってくれ申して・・・」 
そのほっそりとした顔立ちに似合わぬ、大柄な源吾は当然大飯を食らう。
 「薩摩と水戸は色々あったからな。田井様は水戸っぽだけんど、
薩摩びいきよ」
小柄だががっしりとした体の幸吉は、俺のも食うかと、握り飯を源吾に渡した。
 「いいのか、おまん? 山篭りも、てそかだろが?」
「なんだよ、てそかって? 水戸様近くの地に来たなら、ここの言葉で
しゃべれ」
 「疲れただっぺ・・・ということだっぺよ」
言い終わらないうちに、握り飯をひったくるように取った。
 「そう、それでよし。出来るじゃないか。オラももっと食いてえが、
今度はおめえの故郷へ行ったら倍程食わしてもらう」
「水戸びいきがいたら、の」
  二人は水戸藩薩摩藩郷士を祖に持っていた。
祖父同士が尊王攘夷の士であり、友人であった。長い縁である。
 「あの雲、なんとなく山本長官に似てるな」
  山本五十六。昨年、即ち1939年(昭和14年連合艦隊司令長官
任命された、海軍では人望ある穏やかな顔の持ち主である。
  「だな。超えたいもんだ。あん人を」
源吾は握り飯を平らげると、桜という名のピンクの箱に包まれた煙草を
取り出した。
  「それも田井様のとこから貰ったんだべ、一本よこせ」
深く吸い、吐いた紫煙で幸吉は、山本五十六の顔を作ろうとした。
  「ふん、無理だな。・・・あん人は自然体よ・・・」
源吾は雲と紫煙に遠い目を置いた。