箱舟が出る港 第三劇  一章 やまぐも計画

北へ向かう彷徨者が居た。
37歳の男であった。
32で結婚し、33で子が生まれた、妻の故郷で。
北上線ゼロ番線のベンチに座り、月に一度しか会えない娘を、不憫に
思った。
籠を背負った老婆、背広姿に長靴の初老の男、ルーズソックスなどまだ
履いている女の子。
そろいもそろって何かガムのようなものを噛んでいる。
女の子が口を止め、マッチ棒のような、白いものを口から出した。
そしてまた中に入れた。
何を食っているのか知ったことではない。
このあたりのお菓子なのだろうと男は思った。
揃いも揃って同じものを食って(噛んで)いる。
見ようによっては駘蕩とした雰囲気だが、男にとってはなぐさめにもなら
なかった。
全地球を騒がせている未曾有の不可解な現象を知りつつも、男にとっては
ちっぽけな幸せが夢であり、それはいつか叶うと信じていた。
叶わなければ、生まれてきた意味がない。



約束。
長女を貰った男は長男。しかし雪の降らない夫の故郷、関東で生活する。
生後1年も経過すると、妻の両親は孫が可愛くなり、約束を反故にする言動
をくり返す。
松濤館流空手二段、曲がった事が嫌いで、けっしておとなしくない男は
反発し、義理の父親と何度も衝突した。
義理の父親の一方的な行為で、妻の実家に入れない事もあった。
この駅にくるたびに木製のベンチを目立たないように手刀で破壊した。



溶けるような汽笛がなり横手方面から、ニ輌連結の列車が入って来た。



男の休暇は三日。
全部の時間を娘を抱き締めることに使う。



時計をみた高根沢純はゼロ番線に入った。
おや?
4本の指でベンチを突いている男に興味を覚えた。
・・・世の中が大騒ぎしているのに、哀愁だけが漂う男ね・・・
こうして田舎の駅に立ち、まばらな人のなまりを聞いていると、果たして
世界中が驚愕している現象は幻ではあるまいかと思う。
先ほどまでの得体の知れない不安感は消えていた。

「汽車っこが来たべ」
ふたりの老婆が先を争うように"おかしなもの"をしゃぶりながら電車の
中へと消えた。

「あのう・・・どちらにいかれるのですか?」
興味はあったが好みの顔立ちではい。
整った顔つきだが、10年前に流行ったようなイケメンであった。
語りかけるつもりはなかった。
・・・話さなければいけないよ・・・
何かが背を押し、つんのめったような語り方だった。